田舎

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愛農全国大会 

2006京都 愛農全国大会
2月25~26日、舞鶴で行われた愛農の集いに参加しました。老若男女バランスよく集う愛農の健在なパワーを感じながら、数年前事故で亡くなられた、小林先生が、愛農高校の卒業生の結婚の祝辞でおっしゃっておられた、「大きな恵みの流れのほとりに植えられた一本の木のような幸せな家庭を築いて下さい」という言葉を思いだしていました。
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大会は、臨時舞鶴農村劇団 (かかし座)の、何とも田舎臭い、たとえようもなく格調高い演劇で始まりました。
内容は地元で農業をやっておられる霜尾さんが、愛農の創立者の小谷先生と出会い、理想的な農村建設をめざして実践してこられたドラマ「農業者たるまえに人間たれ」でした。
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私が2日間を通して、一番心に残ったことをあげるならやはり(自治体問題研究所主任研究員)池上洋通先生の講演です。私はこれまでに日本国憲法をこれほどわかりやすく、本質的に解説していただいた話しを聞いたことがなかったように思います。寝ていたのかもしれません。

それどころか私は、憲法は誰もが等しく平和に生きるためにあると言うこと、そのために政府が存在すると言うことすら忘れてしまっていたようなのです。その達成のために教育基本法があり、それに基づいて、学校教育があることをなんだかイメージできないのです。

競争の教育、軍備を進める政治から、誰もが等しく平和に生きるという目的が、どうしても見えてこないのです。

今まで、おぼろげに、一生懸命考えていたことは、他でもなく憲法そのものだったことに気がついた日でした。つまりそれは、日本国民みんなの共通の目的だったのです。

もう一つ気づかされたことがありました。その目的とはほど遠い社会を私は政治家のせいにして片付けていました。でもそのスタイルがまさしく今の社会であり、今の政治を支えているのです。
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もう一つどうしても付け加えたいことがあります。それは毎年研修会を交互に続けてきている韓国の正農会の大先輩と一緒に、浮島丸事件を取り上げた映画「エイジアン・ブルー 浮島丸」を見ることが出来たことです。アジア太平洋戦争終戦直後、帰国する朝鮮人労働者を輸送中の海軍輸送船「浮島丸」が突然爆発し、多くの朝鮮人が死亡したのです。歴史を正しく見つめ、きちんと学ぶことなしに、未来は開けてこない、決して確かな友情は生まれないことを肝に銘じたいと思います。
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新しい暮らし方 

二月は瞬く間に過ぎてしまい、もう月末です。
気温がめまぐるしく変化する中でも草花は敏感に春を
感じ取って着々と準備を始めているようです。
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人間だけが有事に備え着々と軍備を進めています。
軍備による抑止力、そのいたちごっこが、
いつまで続くのでしょう。
力で押さえることが、テロのような新たな見えない
敵を作り上げないでしょうか。
私たちが平和に暮らすのに、こんなにも高度な武力が
必要とされるのはなぜでしょう。
核武装までしないと維持できない平和ってなんでしょう。
みんなで大事だと抱え込んでいる知識や、力、
これが本当の宝だと思っている思想や宗教が、
深い溝を作ってしまうのはなぜでしょう。
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私たちが生活しているこの文明は、大きく修正しなければ
ならないときがきているのかもしれません。
何はともあれ、私たちは質素な生活スタイルに
切り替えていく必要があります。
これは、日本ではずっと美徳とされてきたこと。
ダイエットやクールビズのようにファッションとして
若者は前向きに受け止めることでしょう。
科学も、芸術も突き詰めれば、
みんなが平和に暮らせるために意味があるのです。
新しい平和感覚で創意工夫し、
私たちの喜びや、楽しみを見いだしたいものです。
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私は夢見ます。
世界中の人が平和に暮らせる日。
その時、カタツムリはタクシーとなり
ナメクジが交通整理・・・。
ちょっと遅すぎですかね。

作業小屋 

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私は自分の作業小屋を持つことにある種の夢を抱いてきました。そこで木工をやったり、バイクを修理したり・・・。と夢は広がる一方です。女の人が裁縫室を・・・みたいな感じですかね。
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それが昨年、思いがけず実現してしまったのです。でも冬の間は寒くてそれどころではありません。薪を積み上げて急遽薪置き場に変身です。これもなかなか頼もしい限りです。
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でもここのところ少しあたたかくなったので、そろそろ体がムズムズしてきました。日曜日はここら辺でうろうろしながら、気分を出すに違いありません。でも肝心の技術と根気がありません。過去を振り返っても、まともに名の付くものを生産した記憶がありません。それなのに頭の中は次の構想に酔いしれているのです。20060220120421.jpg
イメージ先行で飼い葉桶を作りました。でもこんな小さなロバがいるわけもなく、使い途はあまり思いつきません。完成度も低すぎ、隙間だらけです。写真だとなんだかよさげですね。

自分 

自分で自分は見えない。
鏡をのぞき、口の曲がった変な
おっさんに問いかける。
自分には何ができるの?
自分は何が得意なの?
みんな悩んでいる。

あなたらしさなら
あっという間に見つかるよ。
笑ったり、ないたり、
怒ったりしているそのままのあなたが
何よりもいとおしく美しい。20060217130908.jpg


生きるってあなたらしさにふれて
自分らしさを探すたび

万年筆 

万年筆党
私は万年筆党です。ボールペンやシャープペンで書くのとは、どこかタッチが違います。インク壺から、インクを入れて又書き出すときのあの心地よさは使い捨てではとうてい味わうことの出来ない最も手軽な贅沢です。
でも本当に気分を出すようになったのは、テレビで大江健三郎の番組を見たときからです。そこには、私と同じペリカンのペンを使って文筆活動をしている映像がありました。その瞬間、私の万年筆は、誇り高き品に格上げされたことは言うまでもありません。厳密に言うなら、グレードがだいぶ違うのですが、そこは見なかったことにしています。何せ私の使用目的はこの程度なのですから。
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でも、もう10年くらいは使っていると思うのですが、だんだん使いやすくなるのです。このような製品が、暮らしの中から一つずつ減っていく消費文明と言われる今の時代。進歩っていったい何なのでしょう。手足を使わなくても良くなること?安心するために武装すること?
万年筆の話はどこへいったのでしょう。

葬式 

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お隣のおじさん、義則さんが63歳の若さでなくなられ、お葬式をしました。まだこの地域は昔からずっと続いてきた葬儀のやり方が受け継がれていて、この2日間、なんだかタイムスリップしたみたいな、とっても貴重なひとときを与えられたように思います。このようなスローライフ的な伝統の中に、合理化だけでは、拾いきれない大切な、あたたかい何かを感じていました。とっても明るい日差しの中で、お世話になった義則さんについてみんなでいろいろ話し合いながら。
義則さん、本当にお世話になりました。さようなら。

家宝 

たぶん誰も盗まない我が家の家宝
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子どもが小さかった頃、イベント会場でねんどあそびをやらせてくれるところがあって、そこで息子が、作ったらしいのです。何年もたってから、陶芸家のおじさんが、「なんだかおもしろくてサー、焼いてみたから」と言って届けてくれたのです。それから何年もその辺にころがしてあったんですが、やっぱりなんだか気になって、木枠をつけてみました。何とも言い難いのですが、これを我が家の家宝としましょう20060210160350.jpg

誰からもコメントもらえそうにありませんね。
これは。それが盗まれないゆえんです。

山人舎 

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このブログに山人舎の買い物かごを増設してみました。山人舎とは、私の祖母(山形のキリスト教独立学園高等学校で100歳まで書道教師として働いた)の書き残した書を私が書集に編集した『空の鳥を見よ』を出版販売するときに付けた名前で、さほど意味はありません。少し作りすぎたので今も細々と取り扱っている次第です。どこで買えるのですかと時々聞かれるので、その都度対応していたのですが、ここから買えるようにしてみたのです。

私は1952年に山形の独立学園の山羊小屋で生まれたのですが、その後小学校にはいるまで、障子を一枚隔てた隣は教室と言うことで、昼間遊ぶスペースがありません。そこで天気のいい日は毎日、祖母と外を散歩して過ごしました。

花のきれいな場所を通り、涼しい木陰で休み、川の流れがきれいな所におりてお昼を食べ、夕日に雪山が輝く場所を眺めながら帰るおきまりのコース。私は気に入った石や棒を拾って歩きました。

この年になってもやっぱり、何かにつけ頭の中は、昔の散歩道に何かを探しに出かけていることにふと気がつくのです
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本を買って下さった方からこんな感想をいただきました。
「日曜日の午後にバッハの音楽を聴きながら、この本を見るのが私の最高の贅沢なんです。」私もまねしてみたのですがごらんの通りです。

ゲストブック 

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我が家のゲストブックを紹介しましょう。
ノートを何度用意しても、しつけの良いランがいつの間にか食べてしまいます。(もちろん子どもの頃の話です。)そこで思いついたのが柱です。こんなに太いのだから、何かに使わないというほうはありません。
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ここに日付、名前、体重(失礼又筆を滑らせました)を自分で書いていくのです。この前電気工事の人も記念にってサインしてくれました。
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飛び切り下にあるのが、ろくぼです。
イラストのように彼も一生懸命なのですが、、いざ本番となると甲羅以外はみんな引っ込んでしまうのです。気が小さいんですかね。でもその成長ぶりに、我が家は大盛り上がりです。

ハムの話 

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今日はいつものソーセージ作りがありません。少したまには、ハムの話、食べ物の話をしましょう。毎日遊んでばかりいると思われても侵害です。むしろ逆です。いつもそのことは考えているのであえて書きたくないのです。ホントかな??。26年、ハム作りをしていて、どうしても疑問に思ってしまうことが一つあります。それは、率直に言うならば、私が働くと言うことは、つまり、豚さんの命をちょうだいすると言うことです。「みんな食べてるじゃない、食べ物はみんな命だよ。」と人は言います。でも疑問は解けません。それを食べて生きるってどういうこと?
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そこで、反対の場合を考えてみました。命とつながっていない食べ物。スポンジ?化学調味料?添加物?なんだか想像しただけで生きる力がわいてきません。その塊のような裏にプリントしきれないほどの化学物質の入ったお菓子も、なんだか力になる気がしません。ではバランスのとれた栄養剤みたいなものはどうでしょう。今度はなんだか美味しくありません。私は気がついたのです。本当の美味しさには、生きるためのメッセージが隠されている、生きるエキスのメッセージが、人間の言葉では、美味しいなのです。
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それでは本当に美味しいものを食べる、食べさせる意味って何なんでしょう。私たちは繰り返し繰り返し、美味しいよ、食べなさい、と声をかけられ育てられてきました。そして確かに新鮮な食材などを目の前にすると、よだれが出るほど、美味しいよと言う強いメッセージを感じます。でも、なぜこれほどまでに、尊くかけがえのない食べ物が用意されているのでしょう。私には確信はありませんが、こんな気がするのです。

この尊さをないがしろにして、メッセージの伝わりにくい、まがい物の食べ物を作り続け、食べ続けた結果、私たちは地球の上に生きる本当の意味を見失いつつあるのではないか。
今私たちは、アイヌやインディオなど、食べ物を本当に感謝することを忘れなかった文明の中から、その本当の意味を教わるときではないだろうかと。

自分の感性を信じておそれず口にするならば、私は今こう感じています。全ての人が平等に楽しく豊かに、平和に暮らせるために、これほどまでに地球は豊かでふくよかで、その食べ物は理解しがたいほど尊く、美味しいのだと。
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明日も私はハム作りをします。自分が美味しいものをつくるなどというおごりは捨てて、原料の持つ本当のメッセージを上手に、正確に伝えることが、私に与えられている、大切な尊い仕事、と自分に言い聞かせましょう。

私の日曜日 

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朝掃除機をかけていたら急に思いだしてしまいました。小屋に隠しておいた超古い木(土台?柱?)。隠しておかないと燃料にされてしまいますからね。早速家の真ん中に飾ってみました。
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たったこれだけの10分もかからないことなのに、こんなに満足してしまうのだから、なんと安上がりな単純なあたまでしょう。けっこうすてきですよねー。(シーン)
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犬どももなんの興味も示さず、彼らなりの日曜日を楽しんでいます。こんなに静かな日曜日なのに、地球の上では着々と戦いの準備が進められます。何におびえているのでしょう。もうそろそろ、国益を最優先させるのが政治 一点張りではなく、誰も飢えない計算も、してみたらどうでしょう。案外その先にも、ささやかな喜びが、いっぱい用意されているのではないでしょうか。やっぱり単純?ですかね。


ツリーハウス 

ツリーハウスってなんか惹かれますよね。
子どもの頃、田舎だったので作ったりしました。
でも所詮、子ども。
夢だけはふくらむのですが、たいしたものは出来ません。
今頃になって、家の中に、突如吹き抜けを作ったり
ロフトを作ったりしてみるのですが、
もう一つです。
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それでは一丁、と構想をふくらましたりすることは
あるものの、ほら、靴を脱ぎ捨てて登っていく
あの勢いはもう残念ながらありません。
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でも時々、家の横に植えたケヤキの木の枝振りを見ながら、
この枝が伸びてきたら・・・やっぱり考えてしまっているのです。
でもご安心下さい。そのころまではとても生きていないと思われ。


買い物 

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たくさんかったね。

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